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神戸地方裁判所 昭和31年(モ)53号 決定

債権者 岩田稔

債務者 松岡益雄

主文

債務者は本決定送達の日から七〇日以内に債権者に対し債権者の長女岩田彬子(昭和一六年一一月二八日生)を引き渡さねばならず、もし右の期間内にその引渡をしないときは、債務者は債権者に対し右期間の末日の翌日から引渡を終えるまで一日につき金三〇〇円の割合による金員を支払わねばならない。

理由

第一、申立の要旨

債権者は、債権者(原告)債務者(被告)間の当裁判所昭和二九年(ワ)第四六四号幼児引渡請求事件について昭和三〇年四月一八日言い渡された。債務者が債権者に対し債権者の長女岩田彬子(昭和一六年一一月二八日生)を引き渡すべき旨を命じた確定判決に基き、執行文の付与を得た上、債務者が任意に右の義務を履行しないことを理由に、決定をもつて、相当の期間を定め債務者がその期間内に右引渡義務を履行しないときはその遅延の期間に応じ一定の賠償をなすべきことを命ぜられたい旨間接強制による執行の申立をした。

第二、当裁判所の判断

一、先ず、本件債務名義が間接強制による執行に適するかを一件記録に徴して審査する。

債権者(原告)、債務者(被告)間の当裁判所昭和二九年(ワ)第四六四号幼児引渡請求事件の確定判決によると、債務者は債権者に対し債権者の長女岩田彬子(昭和一六年一一月二八日生)を引き渡すべき旨命ぜられている。しかるところ、当裁判所において、さきに、意思能力のない子の引渡を目的とする強制執行は直接強制の方法によつてのみ可能であるとの見解の下に、債権者の本件間接強制による執行の申立が排斥された(昭和三〇年(モ)第八五〇号)か、抗告審たる大阪高等裁判所は、昭和三〇年一二月一四日右の決定を取り消しこれを当裁判所へ差し戻した(昭和三〇年(ラ)第一六〇号)。右抗告審の裁判においては意思能力のない子の引渡を命じる判決の強制執行は、例えば、乳幼児が不法に拉致誘拐されている場合等の如く直接強制によることが一般道義感情からも又幼児の人権尊重の観点からも是認される場合においては直接強制の方法によるべきであるが、そうでない場合は民事訴訟法第七三四条により間接強制の方法によるべきであるとの判断が示されていると解される。そして抗告審たる大阪高等裁判所の裁判におけるこの判断は、本事件について当裁判所を拘束するから、この判断を前提として、本件債務名義が直接強制と間接強制の何れの執行方法に適するものであるか検討されねばならない。

ところで、前記当裁判所昭和二九年(ワ)第四六四号幼児引渡請求事件の確定判決によれば、その理由とするところは要するに、岩田彬子は昭和一七年以来債務者の許で養育されているが、それは、債権者は同一五年一〇月一一日債務者の娘妙子と結婚し翌一六年長女彬子が生れたのであるが、妻妙子は同一七年九月一七日死亡し、当時債権者は勤務の都合上彬子を養育することが困難であつたのでその養育を債務者に委託したことに始りその後多少経緯はあつたが、同一九年一〇月三〇日津山区裁判所において債権者と債務者との間に彬子が満二〇才になるまで債務者においてこれを養育することとする旨の委託契約が和解によりあらためて成立して彬子は引き続き債務者に養育せられてきた事実を認め、更に、右幼児引渡請求訴訟において親権者たる債権者が右和解による養育委託契約解除の意思表示をなしているのであるが、右解除の効力については、彬子は中学校に在学中であるけれどもその智能の発育は一般児童に比し甚だしく遅れており右委託契約を解除するに当つて同女の意思を考慮する必要がないと認めた上、右委託契約の解除による引渡が相当であるかどうかを諸般の客観的事実に基いて判断した結果右の委託契約の解除が有効になされたものと認めて、債権者は債務者に対し親権に基き彬子の引渡を請求する権利があるとの結論に到達しているのである。以上の事実関係の下において考えると、彬子が債務者の支配下にあるのは拉致誘拐されたものでないことは明らかであり、又前記のように彬子は智能の発育は甚だしく遅れているとされているけれども、すでに相当の年令に達しているのであつて、是非善悪、利害得失を識別し自己の自由意思によつてその居住を決定し得る程度の能力すら全然もつていないものとは認められていないのである。

そうすると、前示大阪高等裁判所がした裁判における判断に準拠して、以上判決により看取される事実関係をみれば、彬子を動産視して直接強制の方法によつて執行することは一般道義感情からも又幼児の人権尊重の観点からも到底是認されない場合に当ると考えられるから、結局、本件債務名義は民事訴訟法第七三四条に則り間接強制の方法によるべき場合についてなされたものとみるべきであり、その方法によつてのみ執行することが可能なわけである。それ故、この点本件申立は相当である。

二、そこで進んで一件記録に徴し、債務者が履行をなすべき一定の期間並びに履行しなかつた場合の賠償額について審査する。

先ず、本件の履行については、彬子の転校の問題、その他転出の種々の準備等、債務者において予めしなければならない事柄があり、多少準備期間を要するがこれを参酌するのが妥当であると考えられるので、債務者が履行をなすべき期間を七〇日間と定める。

次に、賠償額の点につぃては、債権者、債務者及び彬子の身分関係は前記のとおりであること、債権者は現在三井鉱山株式会社施設部参与の職にあり、これに対し債務者は神港信用金庫理事の職にあつてそれぞれ相当の収入を得ていること、その他諸般の事情からみて債権者は彬子の引渡を得られないことによつて相当の精神的苦痛を被ることがうかがわれ、他方債務者がその引渡を強く拒んでいる点からみて、執行の実効を確保するためにはその賠償額は一日につき金三〇〇円と定めるのが相当と認められる。

三、よつて債務者に対し債権者に彬子を本決定送達の日から七〇日以内に引き渡すべく右期間内に引渡をしないときは期間の末日の翌日から引渡を終えるまで一日につき金三〇〇円の割合による金員の支払を命ずることとして主文のとおり決定する。

(裁判官 前田治一郎 吉井参也 金末和雄)

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